【日記】2025年2月13日の日記です。

日本1周、北海道にて大沼公園駅を撮影。

【本日の採点】(各100点満点中。授業とは一切関係なし。)
・授業:休み
・日記投稿237日目(連続44日目)

【日記】
「人間の適正」というものに深く考えを巡らせています。
講師として指導している中でも感じることですが、今回書くのはわたし自身についての話です。
少し前の投稿で、「数学は自分にとって苦手な科目だが、講師として重要な科目なので逃げずにがんばる」といった旨のことを書きました。
しかし、またその後、気持ちが揺れていました。
というのが、適正の低いことをがんばろうとすることで、いかに自分の消耗が激しいかを、痛感するからです。
具体的に言えば、例えば社会と数学で比べてみます。
わたしがそれぞれの科目を自主勉しようとする時に、まず取りかかる際の「心理的抵抗感」はどうでしょうか。
10が最大で、数字が高い方が抵抗が強いとすると、社会が「3」としたら、数学は「7」とか「8」とかです。(数字はざっくりテキトーですが)
そして、抵抗が強いということは、かかるストレスも高まるのです。
「必要なことなら、そのぐらいのストレスは耐えろ」と言われればそれまでかもしれないですが、心理的ストレスが高いことを続けるというのは、それだけ消耗も激しいと言えます。
そして、消耗が激しいということは、中々進まないのです。
そしてそして、中々進まないということは、「伸び率」も大きく異なって来ます。
わたしが「50」のエネルギーで社会を「10」伸ばせるとしたら、数学は「100」のエネルギーで「5」伸ばせるような感じです。(数字はざっくりテキトーです)
ですので、「自分はやっぱり適性の高い文系科目を鍛えて勝負して行った方がいいのかな」と思うのです。
わたしが数学をやらないのは「逃げ」だと思います。
正直に言って、単に「適正低い数学をやるのきついから、やりたくないな」という気持ちもあります。
ただ、数学に費やすエネルギーがあったら、適正の高い科目をもっともっと伸ばせるのは事実だと思います。
ですので、数学に関しては無理をしないで、「数学やりたいな」と思った時にやれば良い程度のものとして考えます。
数学をもっと指導できるようになれば、メリットはあります。
しかしそれを踏まえた上で、「捨てる」「見切りをつける」という決断をします。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする